FORCE GYMからのご挨拶&当ジムの思い
フォースジムのホームページをご覧頂きありがとうございます。
代表/インストラクターの山根明美と申します。
当ジムの運営をはじめたときからの思いと私の体験談を少しお話させて頂きます。
私は、1973年3月15日ブラジル連邦共和国サン・パウロ州で生まれ、小中高校まではブラジルで過ごしました。
おじいちゃんは沖縄県うるま市出身でおばあちゃんは熊本県出身。
第二次世界大戦の時、二人ともそれぞれの家族と共にブラジルのサン・パウロ州サントス市に渡ってきたと聞いています。
そこからサン・パウロ州の田舎で綿栽培畑に働きに行ったそうです。
そこで、おじいちゃんとおばあちゃんがの家族知り合ってお見合い結婚をすることになり、
その後、10人兄弟の次男として私の父が生まれました。
当時、日本人や日系人だけのコミュニティがあって、私は7歳までそこで育ちました。
その頃はおじいちゃんが五右衛門風呂を作ってくれ、お風呂の時間は私たち兄弟の中では一日で一番の楽しみでした。
夕方5時になるとお風呂を洗って、水入れて、家の外に行って薪を入れ新聞を使って火をつけました。
雨の日には折り紙で作ってもらった船で水たまりで遊んだりして過ごしました。
お米はおじいちゃんが畑で作っていた日本のお米を食べたり、おばあちゃんが餅やおまんじゅうを作ったり、それ以外にも祖母はお醤油、お豆腐、漬物、お味噌などを手作りでつくっていました。
豆乳も小さい頃から口にしていて、今でもとても懐かしいです。
子供の頃に私が住んでいたところでは日本人の家族が多くて、そこで日本人のコミュニティがありました。
皆の寄付で力を合わせて会館を作り、週末に運動会や焼きそばパーティーを開催したり。
そこでの参加費はお金ではなく、卵1パック、お米1キロ、パスタなどを集めて、当時は当たり前だった子供がたくさんいる日本人の家族を応援する形で、寄付としてセットを作って配っていた覚えがあります。
まだ幼い私は、皆の思いやりのある行動を見て日本人の血を受け継いでいることにすごく誇りに思いました。
日本から船で古着の寄付も送られ、コミュニティで皆に配られました。サン・パウロの冬は寒いので丁度よかったのも思い出です。
日本語学校もできました。
日本語を忘れないように、あとは私たちみたいにブラジルで生まれた子供が日本語を覚えるために作られました。
その後、父が商売をするために8歳の時にサン・パウロ州の東の方に移住し、そこには日系人ほとんどいなく、馴染むまでにすごく時間がかかりました。
学校では私みたいにストレートの髪の毛を持つ女の子がほとんどいなく、イジメにあったことがあります。
母もオランダ系だったので自分と全く髪の色が違ったことで
「自分の母親ではないとか」、「あなたは養子縁組でしょう」とか、父親はお店を始めると「日本人だから金がある」という偏見を受け、
借りていたお家やお店に泥棒が何回も侵入して、全部持って行かれたこともあったのです。
それでも、父は両親のように心の強い人間だったこともあり諦めずに頑張りました。
私が高校を卒業するとき、「日本へ行きたい」と父に相談したところ、父は認めてくれませんでした。
母が何とか説得して「日本語の勉強になるからっと言って」父の同意を得ることが出来ました。
私はずっと日本の先祖の生活や文化にすごく興味ありました。
念願叶って来日をしたものの、工場での辛い作業の日々が待っていました。
しかし、自分の中で日本で成功したい思いを持ち続けていました。
絶対いつか自分の店を開業したい、と。
ポルトガル語をほとんど話せかった祖父母がブラジルで苦労したことを思い出し、日本に住んでいるブラジル人を助けてあげようと最初に思いついたのです。
そのために、日本語を覚えないといけないと思って一生懸命勉強をしました。
当時、今みたいな日本語講習会は無く、会社の同僚たちに日本語を教えてもらいました。
その後、会社の仕事が少なくなり、お寿司屋さんで安い時給のアルバイトを始めました。
それからも他のお店で経験を積んで、お金も貯めて自分のお店を開業しました。
そのときに外国人支援センターを立ち上げたのです。
その頃、安城市役所の教育委員会で小中学校を巡回して外国籍の児童や親に通訳や翻訳をしながら外国人支援センターを運営して困っている方の相談を受け、
解決できる方法や詳しく相談できる場所の案内もしていました。
そこから安城市文化センターで仕事をしたり、今でもやっている地域のラジオ局Pitch FM83.8での仕事をやったり、愛知県警や名古屋裁判所で通訳をしてきました。
8年前から新しい事業をやりたくて健康にかかせない分野に入りました。
それが今のトレーニングジムのお仕事です。
私たちの第一の財産は健康です。健康でなければいくらお金があっても何もできないのです。
大切な家族も守れないです。
その一歩としてはカラダを強くするためにトレーニングをして、そして、食生活を改善して長生きを目指すことです。
自分を守れるのは自分だけです。
2021年10月15日
FORCE GYM 山根 明美